はじまりの器
ヨリフネ 船寄真利
私にとって、はじまりの器。
あの時、大谷さんの器を買っていなかったら。あの時、声をかけなかったら。今とは全く違った店になっていたと思う。
はじめは、ただただ佇まいに惹かれ手に取りました。
買ったのは1枚の真っ白な洋皿。潔いほどシンプルであり凛とした静かな佇まいは、自分の意見を持ち、まっすぐに背筋を伸ばして立つ人のようで、眺めているだけでとても心地よく感じる器でした。
「こんな人になりたい」
そう思わせる、自分にとっては少し特別で目標となる器でした。
数年前、店を始めようと決めた私は、真っ先にその皿の作り手である大谷哲也さんに連絡を取りました。
当時、すでに人気作家だった大谷さんは、自分にとっては雲の上の存在。ドキドキしながら会いに行くと、そこにいたのはコテコテの関西弁で気さくに話す坊主頭の男性でした。「納品は時間がかかるけど、待ってくれたら別にええねんけどな」「待ってる間に店潰れんといてや~!」などと冗談を飛ばす姿に、実はちょっぴり「あれ、器のイメージと違う…」と思いました(数年後に聞いた「そうじゃないのに、器の印象のせいか、めっちゃきちんとした人に思われんねん」との言葉に、私だけじゃなかったんだとほっとしたのですが…)。
その後、無事に取引が始まり、大谷さん自身の暮らしや内面も少しずつわかってくると、器と作者がどんどん近しいものになっていくように感じました。
大の料理好きである大谷さんは、毎日家族の朝食と昼食を担当されています。そうやって日常的に料理を作り、自身が作った器に盛り付け、家族みんなで食べる。それが終わると器を洗い、棚にしまう。その一連の流れが日常にあるからこそ、美しさだけではなく、耐久性や使い勝手など生活に寄り添った器が生まれている。
多くの人が「手仕事の器は扱うのが大変」と印象を持たれるなかでも、私が店頭で「大谷さんの器はむしろ生活を助けてくれますよ」と自信を持ってお薦めできるのは、使いやすさの裏側にある、器と繋がった日常や人となりを知れたからだと思います。
大谷さんの何気ない一言が、私にとって大きな言葉になることもよくありました。
なかでも、私が店を始める時に言われた「君はもう販売のプロなんやから、その立場として恥ずかしくないクオリティのものを世に出さんとあかんで」という言葉は、何かを決断する時や、くじけそうになった時など、さまざまな場面において「それはプロとして恥じないことなのか?」と自身に問いかけ背筋を伸ばすことのできる、今でも店を運営する上での大きな指針になっています。
気付けば、私は大谷さん自身のものの捉え方や考え方にどんどん惹かれ、器と同じように「こんな人になりたい」と思うようになっていました。
初めて会った頃に感じた「本人と器の印象が違う…」という思いも、大谷さんを知れば知るほど器と重なり、「大谷さんの根っこはこの器そのものなのだな」と感じるようになりました。
なぜか惹かれてしまった器、そこからたどり着いた作り手本人。
目には見えないけれど、器は作家が歩んできた道のりや環境など、その背景が凝縮され生まれたものだと知り、それが「よいものとは何か?」「自分は何を選ぶのか?」と進むべき方向を悩んだときに足元を照らしてくれる、ひとつの大きな判断基準になりました。そして、今では私が店を営む上での重要な価値観になっています。
2017年、ヨリフネで大谷さんの展覧会を開催することが決まりました。
大谷さんの器はすでに多くの人に支持され、近頃は雑誌やテレビで大谷さんの仕事風景や家族の暮らしぶりを取り上げるメディアも増えているなか、私はヨリフネの展覧会で何を伝えるべきかと迷いました。
そこから3年という年月を通して、この展覧会で器に凝縮された大谷さんの人となりや生活、物事の捉え方を私なりの視点を通して伝えたい。そして、その思いに共感する人がこの器を手にしてほしいと考えるようになりました。
そこで、2019年秋に滋賀県信楽にある大谷さんの工房「大谷製陶所」へ伺い、大谷さんと妻の桃子さんを取材。大谷さんの器を「制作」「思考」「まわりからの視点」と3つのテーマに分け、文章というかたちで器に込められた思いを届けることにしました。
この文章が大谷さんの魅力を知るきっかけとなり、その思いをみなさんと共有できたらうれしいです。
編集:船寄洋之 写真:Maya Matsuura
大谷哲也さんインタビュー
僕の感じたものが全てここに含まれている——
あらゆる循環が生み出す、普遍的な器
【前編】
2020.4.3 公開予定