works of mushimeganebooks.
彼女なりの世界の捉え方
mushimegane books. 熊淵未紗さんの陶芸のスタイルは非常に独特だと思う。ものすごく奇抜というわけではないのに、質感なのか、色なのか、何か独自の魅力があり、他に近しい作り手をあまり見ない。また、展示によって作品や色もバラバラで、定番品のようなものがほとんどなく、「これ、同じ人が作ったものなの?」と言われるくらいだったりする。作り手をカテゴリーわけするのはそもそもがナンセンスな話だけれども、熊淵さんはカテゴライズできないタイプの作り手であり、あえてわけるなら「mushimegane books.」というカテゴリーだと思うくらいだ。
その独特さの裏側を知りたいと思い、熊淵さんが作られる器について、どういった思いで作られ、あの独特の世界観はどこから生まれてくるのかを、この機会に少しでも理解したいと思いお話を伺った。
結果、ほとんど理解できなかった。
ただ、分かったのは、彼女は目で見えるものだけで、ものごとを判断しているのでは無いということ。目に見えるもの、言葉にできること、同じものを見ていても、それらの内側にある部分を彼女なりの方法でまっすぐ見ている。私とは見る方法が違うことは分かったけど、その違いを知る方法が分からず、彼女と同じ景色を見れなかったのだと思う。
mushimegane books.のアイコンにもなっている独特な形状の器「ピョコタン」誕生について伺い、そう感じた。
文章:船寄真利
編集:船寄洋之
右下に複数ある長靴のような形の器がピョコタン
熊淵さんは兵庫県出身、岐阜県多治見市にある陶磁器意匠研究所にて陶芸を学ぶ。「ピョコタン」はその頃に生まれたという。
「陶磁器意匠研究所でカップ&ソーサーを作るという課題が出たんですが、ほとんど独学で陶芸を学んできた私にとって、その制作は未知の領域やったんです。取っ手などのパーツをつけることが出来ず、全部外れてしまいました。周りのみんなも課題に必死で、誰かに聞く雰囲気でもなく、そこでカップ&ソーサーについて、もう一度じっくり考えてみることにしました。
私は、カップ&ソーサーって要は持つところがあって、置くことが出来るものやんなって解釈したんです。ろくろは成形前に、ろくろ上の粘土の塊を引き上げたりして密度を均一にし、成形しやすいようにする「土殺し」という作業があるのですが、当時はそれも下手で土が上に行かず、常に土が裾広がりでスカートの様な形になっていました。要はカップの下のほうに陶土がいっぱい溜まっている状態だったんです。でも、そういえばここの部分は持つことができるなって気づきました。なので取っ手の代わりにそこを残したまま周りを削り、成形して提出したんです」
先生からの評価は散々、最下位だったそう。
「なんやこれはと呆れられました(笑)。まあ、評価は散々だったんですけど、その中でもひとりの先輩と、友人だけが『すごくいいものだ』って褒めてくれて。その人たちはずっと『あなたは良いものを作るんだから、仕事にしなくても陶芸は絶対やめたらあかん』って言い続けてくれました。そのおかげで、私はいまも陶芸を続けられているのだと思います」
きっとこの課題は、技術的なことを問われていたのだろうと思う。それでも私はこの話を聞いて素晴らしいと思った。熊淵さんは「カップ&ソーサーとは、そもそもどういうものか」に着目して、視覚的な要素ではなく、その概念を自分なりに解釈した結果、自分にしか作れない器を作り上げた。それはもの作りをする上で欠かせない力であり、魅力的な作り手かどうかのわかれ目だと私は思っている。それは誰もができるわけではない。
彼女と話すと一見不思議なことを言っているようで、その時は分からないことがたまにある。でも後からよくよく考えてみると、実は核心をついていたりする。おそらく意識せずに普段からこういうものの見方をしていて、自然にそれが制作に表れるんじゃないかと思う。先ほどのカップ&ソーサーの話は分かりやすい例をあげたのだけれど、熊淵さんの器は奇抜なものばかりではなく、普段使いできるシンプルなものが大半だ。でも、その精神は器にどこか影響していて、ちょっとしたバランスや色使いがどこにもない魅力となって表れるのだろう。また独学に近い学び方をしてきたことも、その彼女の魅力を最大限に引き出した要因のひとつだと思う。「こうあるべきだ」という先入観に左右されないことで、独特なものの見方をストレートに形にしている。その世界に私は惹きつけられているのだ。
一人で作っているのではない、という意識
もうひとつ、mushimeganebooks.の器を紐解く上で重要なヒントが「縁」だということも分かった。熊淵さんの言葉のいたるところに「縁」と言う言葉が出てきて、それは制作に対する向き合い方の根幹となっているようだ。それには熊淵さんが陶芸家になるまでの経緯が関係している。
意匠研究所でしっかり陶芸を学んだ熊淵さんだったが、作家活動をするのではなくデザイン会社に就職したそう。それでも友人たちの言葉を胸に、会社員をしながらアトリエを借りて、陶芸を続けてきた。もはや趣味の領域では無いことを自覚しながらも、頭のどこかで「すごい人がものづくりを仕事にするのであって、それは自分ではない」と思っていたそうだ。今思えばそう自分に言い聞かせていたのかもしれない、とも話す。そんな中、背中を押してくれたのは見ず知らずのおばあさんの言葉だった。
「ある時、友人が『宮古島にいるから、遊びにおいで』って誘ってくれました。そこから近くの離島に行ったのですが、島は今より観光地化が進んでいなくて、浜で海藻を取ってるじいちゃんと話したり、宴会している人たちに混ざったりと、そんな風に過ごしていました。そこで出会ったおばあさんに『何をしている人なの?』って聞かれたんです。『陶芸をやっていてすごい好きなんやけど、趣味にしては大掛かりやし、でも自分が陶芸を仕事にするって全然ピンと来ないんです』と正直な気持ちを言って。そうしたら、おばあさんが私の両手を握って『ええ手してるな』って言ったんです。続けて『あんたが器を作ってるんじゃないねんで。身体があるから作れるんやで』って。そういう風に言われたんです。その時初めて、頭ではなくお腹でものを決めた感じがしました。『腹を括る』ってあるじゃないですか。私は頭ではなくお腹のへんで『作家がどうとかごちゃごちゃ言わずに、いっかい陶芸やってみようかな』って思ったのを覚えています」
そのあとは偶然の連続だった。その翌日、懐かしい友人から「展示会をしてくれないか?」と電話があり展示出品が決まった。陶芸をする時間を作るため転職したギャラリーは、デザイン事務所が運営しており、陶芸をしていることを知ったスタッフたちが「ホームページを作ろう」「名刺もあった方がいい」などと、まだ作家になることに気持ちの面で追いついていなかった熊淵さんの背中を押してくれた。様々な出会いからその差し伸べられた手はどんどん増え、作家活動が進んでいく。
「昔の自分はものづくりに関して『全部自分だけでつくっている』という考えだったと思います。だから仕事にするのは違うなって思っていたけど、そうじゃないんだって気づきました。私のホームページや写真などは、未だに全て友人が管理してくれたり、アドバイスをくれたりしています。今一緒に仕事をしているお店やギャラリーにしても、たくさんの作り手がいる中で私に連絡をくれて器を作る機会をくれている。今、陶芸を仕事にできているのは、たまたま自分が陶芸を続けてきたことと、陶芸一本で来なかったことで全く違うジャンルの人とたくさん出会い、沢山の縁に助けられたおかげだと思っています。ただそれだけであり、友人や家族、仕事の仲間、これから出会う人も含めた全ての縁に、感謝の思いでいっぱいです。色んな人がいる中で、私はたまたま陶芸をさせてもらっている。だからむやみに仕事量を増やしたいとはあまり思わないんです。縁があったところを大事にして、そこに集中する。今できることをやるって気持ちでものづくりをしています」
私が特徴だと思っていた作品の幅の広さも、どうやら熊淵さんは意識的にそうしているわけではなく、その縁を大事にする気持ちが形となって結果的に増えていったようだ。
「展示会の制作は、オーダーとは違ってのびのびとした気持ちが大きくなり、制作しながら思いついたことを試したりしています。例えば、釉薬をかける際に、手で塗るのと他の素材を使って塗るのとでは焼き上がりの色が違う。釉薬は同じまま土の調合を変えてもまた違う表情が出てきます。『もし、ここでこうしてみたら、どうなるんやろう』というアイデアを思いついたらその都度試していて。それが重なり続けて、色や種類が多くなっているのかもしれません」
てっきり制作を実験感覚で楽しんでいるのかと思ったら、そういうわけではなかった。制作は生きがいや楽しみとはまた違う、もっとフラットな感情であるのだと。
「時には、面倒くさいことを思いついてしまった…と思うこともあります。でも、例え面倒なことだとしても、やってみる方を選ぶ。それはやっぱり相手があってこそ、だからかもしれません。『思いついたなら、やるしかないやろ』ってなるんですよね。それを意識してやっているわけではないけど、自分の力だけやったらきっとやらないと思うから」
熊淵さんにとって制作とは願望や、きっかけなど、何か劇的なことがありやっているものではなく、色んな人やもの、自然の中でたまたまそのように生きて、その中でできることをやっているだけ。「天命」と言うと仰々しいかもしれないけれど、与えられた「役割」をこなしているようだと思った。縁がつながって、たまたま陶芸が仕事になり、暮らしの中で器が生まれる。それは過去、現在、未来の全てをひっくるめた自然な彼女そのものなのだと思う。それがどういう世界なのか、まだ私には一部しか分からないし、これからもきっと全てを理解することはできないのだろう。でも、それで、いい気がした。
「全てを知らずとも心の在り方に触れられたならそれだけでじゅうぶんです」
mushimegane books.のニュースレター『虫便り』にはこう書かれてあった。言語ができなくっても海外の人と同じ感動を分かち合えることができるように、方法が違っても伝わることはきっとある。むしろ彼女のまっすぐな思いは、言葉で表現しようとすればする程、本来のところから遠くなっていくような気がした。オリジナリティーをしっかり持った素敵なものだと自信を持っていえる。だから、見て、触って、そこから広がるものを感じてほしい。